久々のHrad Karlštejnで定点観測、なのにデジカメにSDカード入れ忘れた
晴れ
今日は快晴なので久しぶりにHrad Karlštejnに定点観測しに行った。昔は高頻度で行っていたのに今回は1年半ぶりか。
最近二回は
と辿り着けないでいた。なので、今日はなんとしても到着する気で出発。6分くらいの上り坂でガッツリマウンテンバイクに乗った自転車乗りに抜かれる。チェコ人強すぎる。
久々に見る草原は綺麗。
と思いながらリュックに入れたデジカメを取り出すと、シャッターが切れない。やってしまった、SDカードの入れ忘れ。テンションだだ下がりの中、カルルシュタイン城へ。
踊りもやっており、なおカメラが欲しかった。
とりあえずいつものGiro d'Italiaの場所で写真。
今日でGiroもお終いだが、最終日のタイムトライアルで
の時に最後の最後でチームメートに恵まれなかったために逆転された選手が今回は逆に逆転優勝。何となく以前の敗者が勝つと嬉しくなる。
次のツールドフランスではどんなレースが見られるのか、楽しみ。
ちなみに、これらの場所は周りに知っている人は全くいない。
総ビール消費量752.5L
プラハで学会とか良いなぁ
晴れ
今日から一気に気温が上がり、20度台へ。ここ一ヶ月がウソのようでやっと初夏の様そうになってきた。
ところで2週間前には脳梗塞についての学会があり、この前シカゴ帰りの飛行場でそれらしき人を見かけたが、今週は画像などに関する学会が開かれている。学会は学びに行くのも当然だけど、観光的要素も少し含まれてくると思う。プラハはメトロもスリ以外は安全で発達しているし、夜も安全、都市としてもコンパクトで1日から2日あればめぼしいところは大体回れる、と学会するところとしてかなり良い印象だなぁ。日本から直行便がないのが玉に瑕だけど。問うことで、日本から来ている元上司などといつもの
総ビール消費量751L
スロバキアの病院はチェコより仕事終了が早かった
晴れ
チェコの病院は8時前後から16時頃までが定時な印象。うちの病院は7:30から16:00。終わるのが早いが、その後時間を自由に使えるのでこれはこれで良いかと思った。しかしこの前スロバキアに行ったときのこと、そこの病院は7:00から14:00が定時だった。14時に仕事終わるとさすがにちょっとその後に毎日何やるか考えないと行けないレベルだなぁ。
総ビール消費量747.5L
チェコでカテーテル件数を増やそう、と思っても簡単にはいかない
晴れ
どうでも良い話だが病院の予算獲得のために今日から一ヶ月、自分がいるIKEMは看護師が不足していて症例を減らしていたにもかかわらずカテーテルアブレーション件数を増やす月間だそうだ。そう勇んでいたのに、初日からペースメーカーなどを植え込む部屋の手術装置が壊れて自分らの部屋を貸すことになった。元々二部屋でやる手術を一部屋でやるので大忙しだし、帰る時間も・・・。世の中上手く行かないもんだ。ランニングは月曜と木曜日に定期的にやっているが、いつもは帰るときにやるが、何となく今日は嫌な予感がしていて朝一にやっておいて良かった。
総ビール消費量746.5L
プラハ交通博物館へ、モルダウ川にはビーバーもいる
晴れ
今日は同級生のOと朝からプラハ交通博物館へ。 Hradčanskáのエスカレーターは長い。
そこから更にトラムに乗り換えて到着。Public Transport Museumは交通博物館系では珍しく、観光シーズンの土日祝日しか開いていない。
前には引き込み線があり
実際イベントの際はここから出動する。
DPPは1875年、馬車鉄道に端を発して出来た公共交通機関。1891年には電気で走るトラムの運行が開始され最後の馬車鉄道は1905年にカレル橋を渡り、その後に完全に電化された。カレル橋を渡るトラム自体も1908年になくなった。
この博物館にある最古の乗り物は1886年に作られた馬車鉄道。
1900年に作られた最古の電動トラム。晩年は線路補修車として1967年まで使われた。60年以上も同じ車両を使うとは・・・。
中は本当にトラムだらけ。
同じく1900年からある市長というあだ名のちょっと高級なトラム。昔の市庁にに関わるイベントや観光トラムだった。
中も豪華そうだが、最後は幼稚園児用に使われていた。
1951年に作られたTatra社製の初期電動トラムのT1のプロトタイプ。Tatraはチェコスロバキアの会社。
その後に作られた初期型のT3。世界で最も作られたトラムは、プラハにも色々な型を含めて1184台が納車された。旗を見ると、チェコとソ連。
1948年の運賃、大人0.6Kc、子供0.3Kc。1996年からは今の時間制に変更となった。
バスも鎮座。しかしバスはあまりそそられない。
手書き時刻表の時代。
1時間ほどあればサラッとはみられる程度だが、本当に所狭しと色々な乗り物が置かれている。土産にマグカップ買って退散。
川沿いでビール飲みながら昼食とって
Vyšehradský železniční mostを久々に渡ったら、間近に電車が高頻度で走っている。
RegioJetの電車も。
この写真を撮っている最中に水が電車から漏れているな、と思ったら垂れ流しの屎尿だった。橋を渡るから解放してたのか?少しかかってしまった。
久々にVyšehradに登って景色を堪能。
プラハ城はあと何回見ることが出来るのか。
プラハでは初のお金持ち対象のタワーマンションで屋上はプールつきペントハウス(VTower)。1平米50万円から。日本で考えたら山手線沿線で60平米のマンションが3000万円と言ったら安いのか?
単車両の電車や
落書きだらけの駅舎、
まだ実がつき始めたばかりの葡萄を見て
一回帰宅して、夕食にU Pinkasuへタルタル肉を食べに。Oも気に入ってくれているように見えた。
ビールちょっとだけと思ったのだが・・・
その後は昨日に続いて夜景撮りに。三脚をOに貸してみたら、彼も凝り性なので気に入ってくれた。
適当に歩いていたらなんか地べたを歩いている動物がいた。初めはネズミかと思ったが泳ぎが上手いのでよくよく見たら多分ビーバーか?
ブルーアワーのプラハ城。これも久しぶりか。
日本に帰っても写真撮ることはあるのかちょい不明。
旧東ドイツ大使館のゲーテ博物館が存在を主張している。
国立劇場にももう一度くらい行きたいな。
総ビール消費量746L
中学の同級生が再渡チェコ、深夜トラムは90番台へ
晴れ
中学の同級生Oが今日からチェコに遊びに来ているので夕食がてら市内へ。彼は2二年前にも来たことがあり
その前にも一人で来たことがあると言うことで、三回目のチェコと相当なマニア。到着早々ロストバゲッジ。何でも飛行機の乗り換え時間が実質40分ほどしかなかったらしい。
Občanská plovárna Restaurantで腹ごしらえをして
橋を眺めながら
旧市街などについての地理関係を復習しつつ
カレル橋の袂に戻り
最後は定番の撮影場所へ。
夜遅くまで写真撮ってたら普通のトラムがなくなり、深夜トラムの時間になった。そう言えば深夜トラムは4/29から50番台だったのが全て90番台に変わったなぁ。下一桁だけが変わっただけなので、何のために変えたんだろ。
総ビール消費量744L
日本人が病院見学に、久々にビーール4Lか
晴れ
今日は日本からM先生がIKEMに病院見学に来た。しかしそんなことは気にせずに、朝一にランニングして病院に行きながら、ハァハァしながら挨拶。日本から若い先生が来たのはこの二年で初めてだったが、意欲的に手術にも入ってきた。ちょうどホモルカ病院のK先生も来て、偶然同じ名前の日本人三人がIKEMにいたので、教授や科長などが写真撮らせろ~、と興奮していた。チェコ人なんて殆どが同じ名前なのに・・・。
その後、いつものVinohradský pivovarへ、と思ったがHさんと最近出来たPivovar Kolčavkaの分店へ。
時間がなかったのでホントに駆けつけ一杯。
結構美味しいので、今度又行ってみたい。
その後はやっといつもの飲み場へ。
M先生とK先生、Hさんと途中からホモルカ病院のチェコ人医師も。彼が来ると大体場が荒れるが、やはり荒れて、スリボヴィッツェの一気飲みが始まった。
ビールも久々に4L飲み、家に帰ってソファーの上でバタン・キュー。
総ビール消費量743.5L
ブラチスラバへ day3: 朝焼け見に散歩
晴れ
連日晴れており、今日は4時半に起きて川沿いを散歩。
今日はアポロ橋を渡らずにNew Old Bridgeに行ってみて
橋を渡ってみることにした。基本はトラムと歩行者、自転車のための橋だが、救急車リョが通ることも出来るらしい。ここは歩行者が多分横断しても良いところ。
少しだけ川下へ歩いて
ちょっとずつ明るくなり
朝焼けなんて相当久しぶりに見た。
最後に少しだけ市内観光をと思い聖エリザベス教会=青の教会へ。空と同じ色。
その前に、前回来たときは学校か何かだったところが取り壊されていたが、驚いたのは6時少し過ぎにすでに工事が始まっていたこと。
朝食後に今日も昨日同様に病院へ行き、15時頃に終了。16時にブラチスラバを出たはずが、19時にはプラハには戻っていた。300km以上あり、休憩も入れたはずなのに速すぎ。やっと怒濤の旅行続きが終わった。
ブラチスラバへ day2: スロバキアのカテ室を(多分)本邦初公開
晴れ
今日はブラチスラバのNárodný ústav srdcových a cievnych chorôb=The National Institute of Cardiovascular Diseaseseという病院へ上司と共に不整脈治療を伝承しに。循環器病のナショナルセンターだけど日本で言ったら、ちょっとした郊外の病院なたたずまい。
ハンブルクの病院や自分が今いる病院と同様、外向きに窓があるので明るくてホントに羨ましい。日本のカテ室は大体モグラみたいに建物の奥にあり、昼夜もわからないので気分が滅入る。
自分はその治療法をいつも補助しているだけでやったことないのに教えるという、ちょい無茶な感じが海外っぽい。というか、チェコっぽいのか。
合併症なく無事終了してホテルに戻ってビール。
夜に先方の教授らとMECHECHEでお食事。
昨日と違い食事も美味しかったし、ワインもなかなかだった。
昨年チェコースロバキア不整脈学会でどうでも良い内容を発表していたのだが
教授や他の面子もその場にいらしたらしく内容を気に入ってくれたらしくその話で少し盛り上がった。
総ビール消費量739.5L
ブラチスラバへ day1: 旅は続く
晴れ
昨日シカゴから戻ってきて午前は久々に病院へ行ったが速やかに終了して、スロベニア人がプラハに遊びに来ていたので一緒にちょい飲みしに行った。
結局30分間にちょっとじゃない駆け込み三杯した後に、スロバキアのブラチスラバへ上司と不整脈の治療の指導のために移動。先週ミクロフへ行った道をそのままスロバキアへ40km程行くとブラチスラバ。運転した人は慣れているので休憩しながらでも4時間ほどで着いた。Priimiというところで夕食を食べたがとにかくサービスが酷く、一人は前菜が出てこないままメインディッシュが来たので前菜をと言ったら、後にメインは電子レンジでチンしたのが出てきた。
ホテルに帰って、結局はチェコビールを飲む。
夜景を見に0時頃から少し散策。ブラチスラバに来るのは今回が初めてではない。
しかし前回はアポロ橋側へは来なかったので、斬新。
New Old Bridge=新旧橋方面。ここで見えている川にかかる前の橋脚が2番、川にかかっているのが34番で、元々3番、4番橋脚だったのを一つにしたもの。
34番と一つの橋脚にしたのは左の5番、6番との幅を92m→137mへ広げる必要があった。というのも橋桁の高さもあげることにより、大型の船舶が通れるようになったから。
という論文をみつけた(The New “OLD BRIDGE” Over the Danube River in Bratislava)。
盛大にフレアでまくり
加工しまくったが、やはりフレアでまくり。周りは真っ暗だが基本安全な予感しかしない場所。しかし野生動物がでてくるかもと思い、長居はしなかった。
橋の下側は昆虫の外骨格のよう。
1時に橋を再度渡ったがお城のライトアップが終わっていた。
アポロ橋を最後に見て2時前には宿へ。
総ビール消費量738.5L
シカゴへ day5: チェコに帰国
晴れ
フランクフルトへ到着後、教授がフランクフルトでラウンジに連れて行ってくれた。Franziskanerの白ビールが置かれていたので、ゴクゴクと。
プラハはまだまだ寒い。時差ボケもあり、帰って死んだように寝て起きてまた寝るためにビール。アル中か。
総ビール消費量735.5L
シカゴへ day4:シカゴの物価高い
晴れ
今日は最終日なので、5時起床で街中をウロウロ。
地下鉄が通ったら有名な写真が撮れる場所はここか?余り待つ気になれず、スルー。
雲の門は、角度によっては二つの日の出があるように見える。
今日もいろんな角度から。
朝一なので人が少ない。
その隣のコンサート会場になりそうな場所へも。
シカゴには海はないが、五大湖があり風も強くヨットが多数。
その沿岸にはランナー用の無料給水スポットがあった。
Grant Parkではヨガマットを持った女性が大挙してきていたが、Wanderlustという何かのイベントだったらしい。
格好いい点滅灯着きのシカゴ警察のマウンテンバイクを見て
ハンコックタワーという、街の名物の一つへ登ってみる。
麓からは自分のカメラで入りきらない高さ。
すると、そこには見慣れた土地の名前のPilsenが。
19世紀にチェコを中心にアメリカに渡ったスラブ系民族がここに根付いていたが、1970年以後徐々にラテン系人種が入り込み現在はそっちが多数派になってしまったとか。1931年にはチェコ出身のAnton Cermakが市長になったが1933年にF. Roosbeltと一緒にいるときに代わりに暗殺されてしまった。しかし彼の名前は駅などに未だに使われている。
下はビル群。
若干かすんでいるので、イマイチ。
何でもアトラクションに変えるアメリカ人は展望階に傾きを着けて下を覗き見るようなものを作っていた。当然有料。
昼と夜の二回登れるチケットだと25ドルとからしいし、多分夜に来て夜景を見た方が良いかな・・・。
ホテルに戻り朝食。ベーコン4枚6.5ドル・・・どんだけ物価高いんだか。
これだけで30ドル超え。と言っても、自費ではないので・・・
一気に飛行場に行って
界王にも会って
無事フランクフルトへ到着。
総ビール消費量733.5L
シカゴへ day3:学会場へ
晴れ
シカゴも三日目で自分の発表があったのでやっと学会場へ。かつての同僚などと話しながらあっという間に一日が過ぎた。夜になりチェコの色々な病院からの面々とJake Melnick's Corner Tapへ。お食事会。チェコ語での会話が殆どだったので貝になっていた。ビールが色々種類があったが、逆にありすぎて何飲んだら良いのかわからなかった。食事は典型的アメリカンな味で、敢えて行くほどものもではなかった。
その後にちょっと街に繰り出しMillenium Parkの雲の門を見に行こうかと思ったが、警官に聞いたら多分安全だろうが安全は保証は出来ない、と言われたのでやめておいた。
噂のトランプタワーはシカゴにも。
総ビール消費量733L
シカゴへ day2: 学会場は遠い
晴れ
今回シカゴへは一応学会に参加するために来たので、昨日は3時にホテル着いたけど11時には出発。シカゴは思ったより都市。
国旗がこれでもかと飾られているビルもある。さすがアメリカ。
しかし、そこには隠された都市への入り口のように、怪しげな階段が。
下るとそこは一見して夜は通りたくない、地下都市。実際危険なのかは知らないが・・・。
あとは、正直シカゴには何があるのかわからず、適当に歩いてMillenium ParkにあるCloud Gate(雲の門)を色々な角度から見て
無事学会場へ。
と思ったら、プラハから来ているK先生が昼食行こうと言うことで、歩いて10分ほどで中華街へ。
その中で、一色に食事を食べたH先生が調べておられたPhoenix Restaurantへ。驚きの、アメリカで全く英語通じない店員多数いたが、味は確か。
疲れたのでホテルへ帰り、一休みしたら、あっという間に夜。
研修で同期だったK先生とプラハで同じのK先生の3人でPizzeria Dueへ。
ここはピザをフライパンの中で焼くスタイルなのだが、30分くらいかかった。その間にビールを少し飲んで、この日も何もすることなく終了。
総ビール消費量731L